オ ー デ ィ オ キ ラ ー
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 第一部 蒼き炎 〜キアヌ・クルーガー編

 第三章 呪いのジェンベ



 スコットと訪れたアフリカ西部。
 ブラックミュージックの元祖と言うべき土地だ。

 セネガルの乾いた空気。
 ダカールのレオポール・セダール・サンゴール国際空港を出て カオラックまでの道のりをキャンピングカーで突っ走る。

 ペットボトルの水はあっという間に底をついてしまった。
「大喧嘩しちまったよ、あいつらは三人でプロを目指すってさ」
「お前は自分が集めた仲間たちと3年間ともに過ごしてきたにも関わらず、自らバンドを脱退した。彼らにしてみれば憎いばかりだな」
「バンドってなあ何処もそういうものさ。マトスは顔がいいからよ、 既に引っ張りだこだってベースのアダムからメールが来たよ。最後にくたばれキアヌってな。
 アップルダイヤモンド社と契約したそうだ。今から楽曲を書きためてアレンジして、来年の春にはデビューする。 それなのにオレはこんなアフリカまできて一体何をやっているんだろうな」
 それでも、目の前に立ち並ぶバオバブの木と、遠くに見えてきた町並みを見ると胸が踊ってきた。 街の駐車場にスコットは車を止めると、車を出た。オレはうざったいだろうと自覚しつつもただ彼についていく。

「夢みる少年の心はグラグラだなぁ。若い奴ほど焦るものだが、 近道を行くとろくなことはねえぞ。 エッフェル塔がどうやって出来たか知っているだろう。高い塔ほど、 土台がしっかりしていないと足元から崩れていくものだ」

 スコットの言っていることは、いちいち哲学的で説得力がある。
 だから、手におえない。
 ふと、この口うるさい仕種が妙に懐かしく感じた。

 父だ。とても似ている。

 だけど、似ているということは違うということだ。すき間風が吹いた。あのモルジブのコバルトブルーは、ずっと俺に胸の痛みを残していくのだろう。父がバンドマンだったということだけが旅の支え。

 誰だって、いつ死んでもおかしくない運命にあるんだ。

 今を大切にしなければ。そして、このスコットを、これから大切にしなければ。ちょっとハゲたイケメンっていうところも、父にそっくりだしな。
「おい、どうした?」
「……ああ、何? スコット」
「物思いにふけっている暇なんかないぞ。らしくもない。行くぞ」  

 有料駐車場に車を止めた。
 カオラックはオレが想像していたより、はるかにきれいな町並みをしていた。
 人々はフランス語を話している。父の仕事関係でフランスには子供のころ三年間いた。おかげでこの土地でも会話は通じそうだ。

 名物のピーナツ売り場がある。
 セネガルの街は何処からともなく、太鼓を叩く音がする。スコットはアフリカ音楽の文化を話してくれた。その中でも、特に興味を抱かせたのはジェンベフォラというマスタードラマーのことだ。
 ジェンベだけだと当地のタイコのことになる。
 ロックもR&Bも、ジャズも、レゲエも、すべての元祖はこの太鼓のリズムにあるのだと熱く語るスコット。
 大通りの向こうは十字路で、人集りで沸き立っている。

 ストリートライブをやっているのか。

 俺とスコットの足は早まる。
「見つけた。あそこだキアヌ」
「あれは……ジェンベフォラかよ!」
「話は早い、今日はワールドカップだったな」

 うるさい人だかりがやけに不愉快だ。その中央では、ワケの分からぬゴチャゴチャした民族衣装を着た人間が踊っている。大通りの電器店には液晶画面でW杯のセネガル対レナードが中継されている。
 試合を見ながら音楽に熱狂して踊る彼ら。

 オレとスコットを見る通行人の目が鋭い。それでも演奏を見たくて、オレたちは人込みをかき分けた。観衆も奏者も目は殺意にさえ満ちている。
 サッカーのカリスマ性、ここは敵国。あまり居心地はよくない。フーリガンたちは世界中にはびこっている。

 早いところ退散した方がよさそうだが、オレの耳から……心がタムの音に吸い込まれていった。視点がサッカーに流された。倒れているレナード人に観衆たちは拍手を送っている。リズムは早く大きくなって、目の前に刀を持って踊る男たちが 一人、また一人と増えてくる。まるで分身でもしているように。一体どこから現れたんだ。

 何て心地いいリズムなんだ……狂ってるぜ。
 リズムだけでこんなに心が陶酔するなんて、生まれて初めてだ……。

 その時、タムを叩いていた黒人の白く浮き立つ目がオレをにらんだ。

 なんて澄んだ瞳をしているんだろう。
 鼻筋の通ったかなりのいい男だ。ちぢれた長髪をときおり振り乱す。
 もっとゴチャゴチャの民族衣装を着ているかと思いきやランニングと年季の入ったジーパンだ。しかしダンサーたちは皆ゴチャゴチャに着飾って目を剥きだして暴れまくっている。その正面に座って、偉そうに見ている奴は誰だ?
 王冠をかぶっているということはまさかこの国の国王だろうか。

 タムが俺の心臓に響く。身体が痙攣をおこしかねないようなノリの良さ。タムの音が独特な響きと共に俺の前に刀を持った部族が どんどんこっちへ向かってくる。
 あいつは誰だ!

「スコット!」「なんだ、どうした!」

 サーベルの光が俺の身体をすり抜ける。
 まさか! 何本もの光に全身を貫かれ、オレの意識は消滅した。      


 *             *


 頬を叩く奴は誰だ?
 目を開けると車の屋根が真っ先に目に飛び込んだ。
 眼鏡をかけた黒人が左から視界を遮ってオレの名前を呼んでいる。
「キアヌ、大丈夫か」
 次に、右側からスコットの顔が飛び込んだ。
「ジェンベフォラの呪いに、まんまとひっかかったのかもしれない」
 ドクターの説明をスコットは納得するように聞いている。
 オレには何のことだがさっぱり分からないが、ただ鼓動が早くて、息苦しい。
「あんた等も、遙々こんなところに呪いにかかりに来たのかい?  今はW杯が終わるまではおとなしくしておくことだな」
 医者はさっさと車を降りて街並へ消えていった。



 体調が戻ったのは、灼熱地獄が一変して夜の静けさに変わり始めたころだった。
 スコットは街を離れた荒野のど真ん中に車を止めた。

 あの町全体が異様な人間の集団に見えてしまう。
 キャンプファイヤーを囲んで二人でパンと干し肉を貪った。
 メシを食っている最中もスコットのノートパソコンをバチバチと 叩く指は止まらない。
訳の分からない数字の羅列を書いては、メールを送信している。科学者のやることは理解できないがそれでもオレとの会話も ちゃんとこなしている。
 器用なもんだぜ。
「キアヌ、もっと早く話しておくべきだったな。うっかりしていたよ。ジェンベフォラの太鼓を聴いていてお前は気分が悪くなったんだろう」
「まあな……銃を持っていたら撃ち殺していたよ」
「射撃の腕は百発百中だったな」
 原因不明の幻像と発作に内心恐怖とイライラを繰り返しながら パンも喉を通らない俺にはジェンベフォラなんて名前を聞くだけで腹がたつ。焚火に右半分が白く映し出され、浮き彫りのはっきりした顔はメイクしたように際立って、その目は俺の心を見つめているようにさえ見えた。
「いいか、あせらずに落ち着いて聞け。ジェンベフォラってのはマスタードラマーで数百種類のリズム、まあ曲を持っている。アフリカの歴史にジェンベフォラは欠かせないんだぜ。古来、文字という伝達手段を持たない彼らは歌という形にして伝え儀式を司る。
 音楽で病気を直したり、時には呪いをかけたりすることもできる。
 偉大な王は、楽器の力、精霊の力を借りることによって戦に勝った りした。あいつらのタムに精霊が舞い降りてくるんだよ」
「マジかよ……」
「ああ、彼らにっとって音楽は神と人間をつなぐ音信みたいなものだ。ワールドカップでセネガルとレナードが戦っている映像が流れていただろう。レナード人選手が、二人も相次いで倒れたのはそういうことだ」
「まさか……レナード人に呪いをかけたって訳かよ!」
「そうだ、私はカナダ国籍なんで難を逃れたようだ。あの太鼓を叩いていたのが、私が見込んだドラマーのアドルフだ」
「ちょっと待てよ、そんなとんでもない奴をバンドメンバーに入れようっていうのか!
 頭おかしいぜ、それで演奏中にオレが倒れたらどうするんだ!」
 ブフーッ!
 スコットは飲みかけていたウイスキーを霧吹きして笑い出した。
「何がおかしいんだ! バカアホクソ!」
「呪いにかかって大人しく死ぬってガラか、オマエが」
 スコットはこっちの話なんて聞きもしない。オレ以上にゴーイングマイウェイだ。
「そうか……だからワールドカップの日にワザワザ町をうろついたって訳だ」
 オレは吐き捨てた。
 今やレナードは世界の敵だ。大通りでテレビ中継をやればアイツが呪いをかけに来る確率が高いとスコットは読んでいたって訳だ。トコトン愛想が尽きる合理主義者だケビン・レノンってヤツは。
 そんなオレの感情も無視して彼はまたしゃべり出す。
「感謝して貰いたいぜキアヌ、いいか、あいつらのリズムは本物だ。
 何度も言うが、 ロック、R&B、レゲエ、全てのモデルはここにある!!」
 だんだん酔ってきたようだ。
 顔は赤いし、語気も荒い。手に負えない科学者の論述はさらに拍車がかかって立ち上がったままドラムを叩くジェスチャーをする脚がふらついている。
「アドルフはドラムキッドも叩ける。リズム感が最も優れているのは、彼ら黒人だ。
 リズムは音楽の基盤だ。つまりアドルフとバンドを組めば、変幻自在な奇想天外なリズムを組み入れることができる。チャンスだと思わないか!」
「……ま、まあな、だがよ、俺が演奏中に倒れてもいいって言うのか」
「そうだ、お前が倒れようが死のうが関係ない。いい音楽のためだ」
「まあな……ってよくねえ!」

 変幻自在、奇想天外、きっとオレでも思い付かないようなリズム、 そしてあのグルーブ、耳の中に入り込んできたリズム……。
 確かにあの音には魔力があったぜ。オレが見た戦士は幻覚ではなく精霊だったのかもしれない。しかし、あんな奴とバンドを組むなんて、命がいくつあっても足りない。

 命がけの音楽……。

 オレは、自分が父に言った言葉を思い出した。
 政治に命はかけられないが、ロックになら命はかけられる。 そんなこと偉そうに言ったクセに、いまさら何をビビっているんだ。あの言葉は口先だけだったのか……。

「スコット、アドルフとやらに会ってみるよ。そしてこのエモバンドとオレの耳でもう1度、アイツの技術を 確かめてみたい。彼をスカウトするかどうかは、その後だ」
「それで十分だ」
 胸くそ悪いがスコットの言ってることは正しい。
「もう寝るよ。あんたがあの有名な科学者ケビン・レノンなんて信じられない。 いや科学者ほど、冷静に合理的に物事を考えられるんだな」
 オレは先に車の中に入って薄い毛布にくるまって寝た。

 真昼の暑さが幻のような、寒い夜に震えながら。


 翌日の朝は、熱いシャワーを浴びたいほど体中が震えた。
 こんな逆境の中でほど、オレの頭にはいろんなメロディーが 流れてくる。どんどん聴こえてくる。かなり使い物になりそうなフレーズだ。スコットは、ウィスキーで身体を温めているがオレは頭痛がして飲めない。
「お前も一杯やるか」

「そんなものよりもっと体を温めるものがあるさ」

 EJのギターを取り、車の発電機につながれたアンプを外に引きずり出した。スコットをにらみながら、エレキギターを ディストーションを効かせて思い切り弾いた。
 清々しい気持ちで弾けた。
 昨日の発作に夜の砂漠の冷え込み、そしてはるか見渡す地平線のすがすがしさ、そんな中で、この曲ができた。
 前半は、マイナーで始まって、後半から明るく転調してメジャーになる、そして太陽の光の強さは強烈なメロディーを入れた。これでもかと言うぐらいにサビを繰り返した。
 最後の一音を、中指に魂を込めて弾いた。
「へへ、今日の朝の雰囲気さ」
 曲を弾き終わった後、急に照れ臭さがこみ上げて、 オレはかじりかけのパンを口いっぱいにほおばった。
「キアヌ、曲の感想を言ってやってもいいぞ」
 スコットは、ウイスキーのボトルのふたをクルクルと締めながら、 いつになく、怖い目つきでこっちを見た。怒っているようにしか見えない。
「聞いてやってもいいよ、ハッキリ言えよ」
 謙虚に人の意見を聞くことも大切だということを、オレは少しずつ実行出来るようになっていた。それを教えてくれたのはスコット、アンタだしな。
「悔しいが、最高だ」
 この胸が沸き踊った。
「だろう! いいだう! 絶対いいと思ったんだ!  やっぱりオレって天才だよな!」
「お前、すぐ調子に乗るから褒めたくないんだよなぁ」
「参ったか、これがキアヌサウンドだ!」
 スコットの襟を掴み上げ、彼が咳き込みだしたところで離した。心はもう、宇宙のかなたまで飛んでいった。     


  *             *


 あのアドルフという男の顔が靄にかすんだ街に浮かんでは消える。
 その日は昨日のにぎやかさが嘘なほど静かで、人々の顔も穏やかになっている。アクセサリー売り場が立ち並ぶ商店街。

「昨日のドラマーは最近はどこに出没するか知らないか」

 スコットが、あの電器店で働く従業員らしき男に聞いた。
「知らないよ、あんな気味の悪い音楽をする男なんか」
 通行人を観察してみた。長い髪をチリチリに巻いた黒人が、 サングラスを光らせながら歩いている。黒の革パンにロックの匂いがする彼に聴いてみた。
「よく俺がロックをやってるって分かったな。知らないな、あいつは。何でもライブハウスでは有名なやつらしいが、名前は覚えてない」
 相手も俺の、頭からつま先まで眺め、異国人に対する警戒心を見せている。しかし、ロックに国境なんてねえ。
「この辺のライブハウスを教えてくれよ」
 タバコを一本やると、彼はニヤリと笑って来いよと片手を上げた。早く会いたいという気持ちが脚を早めた。アドルフという男の出没する場所を調べるのに、たいして手間はとらなかった。
 五件のライブハウスを回って、一番大きなライブハウス 『ブリッツ』で毎晩待ち伏せした。ここはバーも兼ね備えている。酒のBGMに、音楽を聴くという感じだが上手い奏者になると客たちは、体を揺すって一緒に踊った。

 流石にダンスがうまい。

 タテのノリで手拍子する客たちも、ミュージシャン並みに上手い。パチンとハンドクラップが鼓膜を振動させる。彼らの手はもう楽器だ。
「どうだ、体が自然に動くだろう。これがブラックミュージックだ」
「確かにノリは最高さ。だけどオレには物足りないぜ」
 BGMには最高だが、気合を入れて聞くという、うっとりさせるというタイプのミュージックじゃない。 まるで味のないガムをいつまでも食っているみたいだ。それはそれでアジになるもんだが腹は満たされねえ。
 陽気に手拍子をする群衆の中に、アドルフを見つけた。
「スコット、いたぜ」

 両脇に黒人の美人を侍らせ、暗がりに白く浮き立つ目と歯は、ハンドクラップしながら、俺を挑発しているように見えた。そんな訳ねえのにな。
「さあどうするキアヌ。お前をKOしたジェンベフォラのアドルフを」
「やられたら、やりかえすのがオレの流儀さ」
 オレは酒のペースを速め、マティーニを2杯、そしてわが故郷の名前と同じオレンジ色 のカクテル、ニューヨークを飲んで、あっという間に出来上がった。
「何をやらかす気だ、お前、ニューヨークにするには赤くなりすぎた顔色だ」
「面白いショーを見せてやるよ」
 真っ赤な顔は作戦通り、だけど足取りは大丈夫だ。オレの報復を始めてやるか。

 曲が終わったタイミングで俺はステージに飛び入りで入った。
「やあみんな、オレはレナードから来たキアヌ、キアヌ・クルーガーだ!  昨日のW杯はセネガルの圧勝だったな。客席にいるアドルフの呪いが通じたのかなぁ」
 観衆は、客席の彼を確認して笑い出した。
 やはりあの儀式はそうだったのか。
 そしてアドルフの名前もここでは知られているようだ。

「なんだお前は、変な酔っ払いだぜ!」
「おーい、お前、頭大丈夫か」

 みんなオレをバカと思っている。計算通りだ。
「オレはそのレナードから遙々セネガルにやってきた、ヤロウどもこんばんワー!」
「こんばんわー、レナードにはお前みたいなバカがたくさんいるのかー!」

 オレは、ギターをとった。
「そうだ、しかもただのバカじゃない。筋金入りの、ロックバカさ!」
 オレはギターの弦を弾いた。観衆たちの目つきが変わった。彼らが聞いたこともないようなエモーショナル、そして、オレは祈りを込めて歌った。


 
THE ROCKER 


 天国も地獄も
 死後の世界にありはしない
 世界を旅すれば
 何処にでもある 誰でも行ける

 胸の奥に秘めた
 本当の愛に鍵をかけ  
 兵士は旅立った
 敵を殺して自分も死んだ  

  国に操られた神の声に踊る
  黒すぎた世界にも
  守るべき人がいるから

   愛を解き放て この腐敗した世界の空に光を
   果てしない荒野に ただ一つしかない花を咲かせるため
   あの人が歌ったように 俺は歌い続ける

   勝利を掴むものは 銃じゃない 剣じゃない ミサイルじゃない
   世界を変えるものは 殺さない、奪わない 諦めない Love and dream
   地獄を壊すため 俺は歌い続ける
   果てしない荒野を 変えてゆくのは俺たちしかいない
   勝利をつかむため 俺は歌い続ける



 歌い終わったとき、静粛に包まれた。
 観衆の一人ひとりの目を見つめた。泣いている。とても美しく光る真珠のような涙。
 黒い肌に白眼は、余計にくっきりと暗がりの中にも浮き立って美しく輝く。
 これだけの瞳が、これだけ美しく輝いている。

 次の瞬間、津波のような大拍手が耳を襲った。
「いいぞーっ! 酔っ払い!」
「レナード人が、お前みたいな奴ばっかりだったら戦争もおきないんだよな!」

 世界が壊れかけている。
 だけど音楽にだけは、国境はないんだと確信した。

「見事なパフォーマンスぅだったナ。名前を聞いておこうぅか」

 手を叩きながら歩いてきたのはアドルフだった。
 ウを引っ張るウガンダなまりの強いフランス語だが 聴き取れないことはない。
 作戦通り、不良時代の相手を挑発する笑みでまずは睨んでやるぜ。

「オレはキアヌだ。昨日聴かせてもらったよ、あんたの悪魔のような演奏をな。
 あんたの音楽は間違っている。外道以下だ」
 アドルフの目がチクリと動いた瞬間、右の鉄拳が頬を抉った。
 こいつプロかよ。パンチの重みが半端じゃねえ。
 左の頬に受けたパンチに体は弓なりになったが、ギリギリで踏ん張ってまた彼をにらみつけて中指を立て挑発した。

「ワタシはオスカルぅ国王にお仕えしているぅ誇り高きグリオだ。 そしてワタシのジェンベには神が宿っているぅ。 外道呼ばわりされる筋合いはない。 お前はただの酔っ払いじゃないな、何か魂胆があるんだろうぅ!」
「グリオ? そんなもの食った事ねえなあ。 グリオだろうが何だろうが、あんたは間違っている。いいパンチしてるな。何かやってるのか」
 オレは唇の血を拭いた。アドルフは指を、ボキボキ鳴らしながら言った。
「13の頃マサイ族に行って修業ぅシタ。 お前達の国で言えばジムだ。アイツらはあれで金を取ってイル。 十年前からだがナ、あんな事でもしないとあいつ等も生き残れない。
 知ってたカ。今の世界はレナードばかりが潤っているぅ」
 その言葉の端には、セネガルで生きる人々の貧困さと、レナード人に対する憎しみさえ感じ取れた。母国を飛び出したら、やたらと人々のとがった視線が突き刺さる。 最初は肌に痛かったが、もう慣れちまった。
ここはもう一つ、奴の神経を逆なでしてやるか。
「へっ、マサイ仕込みのパンチにしては威力がないな。
 アフリカ最強部族の名が聞いて呆れるぜ」
「まだ言うぅか、ヤンキー小僧ぅ!」  
 アドルフはまた殴る構えをしたが、メラメラ燃える火を噴き消すようなため息をついて、手をダラリと下ろした。

「何が望みダ?」

「あんたと殴り合いじゃなくて、音で勝負したい」

 取り巻いていた群衆が、どよめきの津波を起こした。
「今すぐやれ! 聴いてみたいぜ!」
「このロックバカは頭はおかしいが腕だけは本物だぜ!」
 ヤジが飛び交う中、アドルフは両手を広げ観衆を抑える合図をした。

「待ってくぅれみんな! ワタシはオスカル国王に使えるグリオだ、 国王の許しを得なければ、公の場で演奏はデキナイ」
 その言葉を待っていた。
「それならばちょうどいい。次のW杯で勝負しようじゃないか」
「どういうぅことダ?」
「次の対戦国はヤマトだ。またあの呪いの儀式とやらをやるんだろ。
 オレはあんたの呪いを解くために演奏する。だからタムとギターだけの勝負だ。セネガルが勝てば あんたの音楽が正しい。ヤマトが勝てばロックの勝ちだ」
「そんな競演を、国王が許可すると思うぅか」
 しかし、観衆たちは大騒ぎして彼の言葉はかきけされた。
 そのとき、この操縦不可能な陽気な群衆が、一斉に左右に分かれた。
 アドルフが一礼した。

「許可しよう、とても面白い試みだ」

 左右に分裂した群衆の中を歩いてくる薄複数の男たち、 その中央は昨日見た国王だ。
 オレは一礼した。
「伝統を引き継ぐことも大切だが、新しいものを取り入れることにも、 私は興味がある。ずっと一部始終を見せてもらったよ。君は勘違いしているようだが、あれは呪いではなく儀式だ。 正当な祈りだ」
「でもオレの目には、剣を持った男が見えました。 あのサウンドは応援歌ではなく呪いではありませんか」  
 オスカル国王は何も言葉を返さず、自信に満ちた瞳で答えた。
「勇敢な若者よ、君の挑戦を受けよう」
「国王、オレが勝ったら、アドルフを、オレが結成するバンドメンバーに加えていただけないでしょうか」
「アドルフが勝ったら君は何をしてくれるんだ」
「ギタリストの命、このギターを国王に差し上げます」
 オレは高々とEJのサインを見せた。エリック・ジャクソンのサインに会場がうねる波のようなノイズで盛り上がった。ギターの神様、彼の知名度はこのセネガルにも知れ渡っていたのだ。
「いいだろう。とても面白い。神はきっと、セネガルに勝利をもたらすだろう」
 その時、ずっと黙っていたスコットの声が響いた。
「待ってくれ! このままでは、フェアな勝負ではない」
 大衆が、彼に注目した。
「アドルフ、あの異常な呪いのサウンドではなく、あんたのちゃんとした音楽をキアヌに聴かせてくれ。共演をするからには、あんたの音楽の特徴を見せてもらわなければ困る。キアヌはあんたにオリジナルを聞かせた。今度はあんたがオリジナルを聞かせる番だ」
 アドルフはニコリと頷いた。
「ついでに、コイツの鼻っ柱を折って欲しい。 これを付けて叩いてくれよ」
 スコットが出したのは、エモバンドだ。
「コイツはまた、おしゃれな腕時計ダ」
 アドルフの褐色の腕、更に黒きエモバンドが巻かれた。その仕草がとてつもなく大きく見えた。人の演奏にクールに点数を付けやがる、俺の大嫌いなエモバンドだ。
しかし興味も沸く。オレの心にまで忍び込んだ、あのサウンドは どのぐらいのパラメーターを示すのだろうか。
 ドラムキットの中央に、腰掛けるアドルフには高貴なる貴族の匂いさえする。それなのに、ほとばしるような野性味は何なんだ。
 演奏が始まった。

 天を貫くスネアの連打、地震のようなバスドラ、時を刻むハイハット、アフリカだ。
 偉大なるアフリカの大地が耳を包み込んだ。あの時のようなジェンベによる民族的な楽器でないにも拘わらずアフリカの響き、そしてリズムにオレは待たしても陶酔させられた。
 身体が踊らされる。
 オレばかりではなく、回りの男たちもまるで魂を掴まれたような目でタテのりの早いリズムに乗って踊る。この大衆を、一つのドラムで操る。

 やばいヤツだ。  

 精霊が舞い降りオレを取り囲んで一緒に踊る。アドルフは周りを見ながら時折笑顔をこぼす。あれだけの演奏をやりながら余裕さえある。酔いが回ったオレは、ヒトデのように床に倒れた。

 すげえ……神懸かりだ……

 いつのまにか演奏は終わっていた。
 天井が回る。スコットがオレに手を差し伸べた。
 赤いデジタルが、715を示している。

「エモバンド……715だと!」


  *                 *


 その夜はカオラック繁華街のホテルに泊まった。
 狭いホテルのソファに向かい合い、前かがみにテーブルをはさむ。 むさ苦しい男二人ではムードはないが絵にはなるかもしれない。
 二人のカリカリボリボリとピーナツを噛む音が静かな部屋に響き渡る。スコットは頬張ったピーナツを飲み込んでからしゃべり出す。
「グリオは西アフリカの世襲制の職業音楽家だ。あいつらは単に楽器の演奏をするだけではなく、 歴史上の英雄たちの話や、遠方の情報、家の系譜、生活教訓などの文化をメロディーに乗せて人々に伝えることを本来の目的としている。
 しかし最近は売れることを目的とした奴ら が多くなった。国王は王子が生まれると必ずグリオを付けた。アドルフが国王に引き抜かれていたとは知らなかったよ」

「アドルフは宮廷音楽家ってやつかい」
「まあ、みたいなものだな」
 スコットはアイスピックで氷をガリガリとかち割るとグラスの中に投げ入れ、お決まりのバーボンを縁からソロソロ入れた。
「お前にあんな度胸があるとは思わなかったよ。上手くやりやがって。どうぞお願いしますって、 頭を下げてスカウトできねえのか」
「度胸なんかねえよ、脚がブルブルさ。恐れ入ったよ、715だぜ……どうしてあんな見栄を切ったのか」
「バカヤロウ、まるで飲まないと女に告白できないダメ男みたいだ。 まあ私もエモ715なんて初めて見たよ。500なんて大人と子供の開きだな」
 そんな煽りにも反応する余裕はなかった。アドルフの強烈なリズムはまるでオレの鼓動のように、今でも鳴りやまない。あの白さが際だった目。

「アドルフが俺より実力が上なのは分かってんだ。
 だがよ、715なんて数字に出されちまうと…… もう勝ち目ないって思っちまうぜ」 「ならなぜああいう挑発をしたんだ」

「ロックの精神が、反抗だからさ……。
 オレにはどうしても負けられない理由があるんだ。 それは今度の勝負に勝ったときに話すよ」
 薄暗い壁にかけた、エレキギターをとった。
「お前、共演って言ったけどアドルフのあのリズムに合わせて即興で弾く事になるんだぞ。そんなこと、できるのか」
「スコット、オレは出来ない事は口にしないよ」
「ほう……やっぱりお前は、ひょっとしたら天才かもしれないな」

 天才……もうそんな代名詞はどうでもいい。
 オレとアドルフ、この勝負どっちが勝つか、ただそれだけなんだ。
 ギターのネックをクルリと回し、サインを見せた。

「このEJのサイン、エリック・ジャクソンのものじゃないんだぜ」

「本当か……俺には本物に見えるが」
「ガギの頃だけどよ、なかなかギターがうまくならなくてな。指から血が出るほど弾きまくって、それでも思うように演奏できなくてさ。ネックをへし折ろうと振り上げたとき、母さんが教えてくれた。
 このサインは父さんが書いたものだって。怪しまれないように何回もマネをして紙を破り捨てたって…… あの忙しい父さんがだぜ」
 スコットはうなずいた。
「あいつらしいぜ。喜んでほしかったんだよ」
「シカゴであったサイン会で先着200人、 父さんは前に立っていたっていうのに車イスの少年に譲ったんだ。 カルビン・クルーガーだって言えば、特別にでももう一枚ぐらい、 絶対にしてくれたのに。 権力にものを言わせるっていうことが大嫌いだった」
「確かにあいつらしいよ」

「だからこれは父のサインなんだ。このギターには父の魂が入っているんだ。
 今のオレにはエリック・ジャクソンのモノよりも、 ずっと大切なサインになっちまったよ。アドルフのタムに神が宿っているなら、オレのギターには父が宿っているんだ」

 ギターを構えると一気に腕を振り下ろし、ストローク奏法に言葉の音符を乗せた。スコットは両手の人差し指を一本突き出すとドラムのスティック 変わりにテーブルをタンタン叩きだした。
 アフリカ音楽のリズムだ。
 セネガルの乾いた木はタムタムばかりではなくテーブルまでも 響きの高い音を出す。  オレとスコットはどんどんヒートアップして粗削りな音のキャッチ ボールを楽しんだ。





 その夜、アドルフは国王と二人、宮廷のベランダで酒を囲み、 あの遙か東、ウガンダの空を見つめながら、少年兵だった日々を 回想していたという。

 雲一つ無い空は見上げる者の心を吸い込む。

「私の闘争心は、恐怖から始まりました。
 10歳になったばかりのころでした。グリオの家系に生まれ、 父からジェンベの訓練を受け、有能な後継者と言われていました。
 私はジェンベよりも、先進国の匂い漂うドラムにあこがれ、 ジェンベの稽古をする代わりに、週一回は町一番の大きな楽器店に連れて行ってもらい、ドラムを叩くことで、つらい稽古も 頑張ることができました。

 丁度その頃でした。
 私の人生を大きく変えたのは……
 ウガンダの反政府軍イライーダに連れ去られました。土足で入る兵士たちに家族は射殺されました。あの大きなブーツで、頭を踏み割られそうになったとき、 心まで折れそうになりました。
 こんな私を救ったのも……ジェンベでした。
 ウガンダ反政府軍イライーダの首領はグリオの伝説を知っていました。
 グリオはときに敵軍に呪いをかけて勝利を導くことを。
 私はジェンベに呪いをかけることであの軍を勝利に導き、 そして首領の信頼を得てから脱走しました。1文無しでケニアに逃げ延び、マサイ族のある男の家に居候してライオン狩りの祈祷を頼まれるようになりました。
 男はお礼にマサイ族の武術を教えてくれました。18で私もライオン狩りに参加したわけです。ライオンと相対するときには、目をそらしてはなりません。
 突くと決めたらとことん突くのです。少しでも逃げ腰になると、獣は、その引き脚に襲いかかるのです。
 それで命を落とした男を何人も見ました」
「女にアプローチするときと同じだな」
 国王の言葉に、アドルフが今度はニヤリと笑った。
 オスカル国王は杯を持った手を真っすぐと、アドルフに差し出した。アドルフは、お辞儀をしてから酒をつぐ。
「国王、私のような者の酌で、よろしいのですか。 お美しい女官をお呼びになられては」
 オスカル国王は首を振ってニヤリと笑った。
「今宵はおまえとふたりで飲みたい。 初めてだな、お前が昔のことを話してくれるのは。 どうやら辛い日々を、思い出させてしまったようだな。すまぬぞ」
「滅相もございません。私は国王と2人で飲めることを、光栄に思います」
 オスカルは頷く。

「アドルフ、私がオマエと今宵、こうして飲んでいるのは、 お前と別れることになるかもしれないからだ」
「まさか……私があの小僧に負けるとでも……」
「そうではない。勝負に100%はない」
 アドルフはウォッカを一口飲んだあと、 残りをハイビスカスジュースに入れてカクテルにした。 オスカルも同じカクテルにした。
「あの男には、天才的な音楽センスを感じます。 ロックを知っている、いや、あの男自身がロックになっている。 ロックは懐が深い……しかし私は勝ちます。
 どんな戦いでも、私に負けは許されなかった。 あの男の命、ギターを奪います」
「今年最高の余興になりそうだ」
 二つのハイビスカスがかち合い、二人だけの静かな前夜祭は熱く燃える。


*             *


 勝負の夜が訪れた。 いつもは静かな繁華街が、この日は見物人の集団を作った電器店前の大通り。巨大な液晶画面と、ジェンベフォラのグリオ、アドルフを観衆たちは交互に見ている。まさか、立て看板まで立っているとは。

 この勝負のエピソードは野次馬から新聞記者につながったらしく、 通行止めの道路は人で埋まった。オレは完全な悪役になったようだ。
 対戦相手がヤマトというのも運が悪かった。レナードと同じくらいバッシングを受けている国だからだ。アドルフの前には大小12個のタムが並べられている。

 これを叩くというのか。
 手が六本ないと叩けない数だぜ。

 キックオフの笛が鳴った。

 同時にアドルフの手がジェンベを叩き出した。
 ダンサーたちの踊りが始まる。オスカル国王がアドルフを見てうなずいた。競演という形での勝負、しかし、たとえドラムだけでも彼の演奏は完成されていて付け入るスキが見えない。魅惑的なビートと共に、アドルフは前方の何かを、うっとりと見ている。その姿が、オレにもぼんやりと見えだした。

 あの時、オレに斬り掛かってきた戦士だ。
 あれは精霊なのだろうか。

 しかし今度はオレには斬り掛かってこない。
 そうか、呪いのターゲットは、ヤマト人なんだ……。

 ギターを構え、震えが止まらぬ右手の人差し指でEJのサインをなぞった。
 父がついている……世界平和のために、命を捨てて戦った父が……

 このEJには、誰も恨まない、誰も殺さない……  そんな父の魂が宿っているんだ!

 アドルフはいつでも来いよと隙のないタムの連打でニヤリと笑った。
 オレはマイナーコードの王様Amを弾いた。

 スコットの目が引きつったのも無理はない。マイナーコードのAmは暗く悲しい曲、短調の背骨だからだ。オレはさらに哀愁を誘う、E7へと導いた。
 この時、アドルフの目がギロリと潤んで光った。

 アドルフの呪いには暗い過去がある、そんな気がした。ここはアイツに合わせてオレも泣こう。泣け、はき出せ、アドルフ、お前の胸に沈めた悲しみを……。

 しかし、次にオレの目と耳を襲ったのは近代武装した兵士、銃弾。 血まみれになって倒れる兵士。そう、それは紛れもなく戦争の光景だった。
 祈祷師アドルフ、そのオレを睨み付ける目は正に戦場に挑む男の目。

 そうか、偉大なる王は戦争に勝つための呪いをかけた……
 あんたは、勝利を導くために叩いてきたんだな……
 見えるぜ……  あんたのサウンドが勝利を導く光景が……
 勝てるわけがない……

 ジェンベの音の中にアドルフの声が聞こえてくる。
‘私の音楽はお前たちのお遊びとは訳が違う。
 軍の勝利を祈願して、命がけで、勝つために叩いてきた。
 だからお前は絶対に俺には勝てない!’

 テレパシーというものがあることを、俺は初めて知った。
 相手は、 俺よりも各上、しかし、どうしても納得できない思いが爆発した。

‘うるせえよ、勝ち負けなんか、どうでもいいんだ!’

 オレは祈る思いで個性の強いパワーコード演奏を、次々と繰り出しながらマイクの前に立ち、あの時を歌った『THE ROCKER』を、 全く違うメロディーに乗せて、もう1度歌った。
「なにい……キアヌうー」
 アドルフのリズムがペースダウンしていく。
 望んでいたスローテンポだ。アドルフへのメッセージを音という言葉で伝える。
 そのタムがオレと競演を始めた。良き音楽を奏でるという精神が、アドルフの独奏を止めたんだ。
 そして、闇から光を見いだす人間本来の本能を誘い出すべく、 俺は転調を試みた。
 音楽に耳が敏感なセネガルの国民、市民、そして彼ら観衆がオレを見た。

 今だ……!

 オレは一気にメジャーコードの明るい曲調に転調した。

 そうだ、どんな人間でも、暗闇から光を求める本能をもっているんだ。
 アドルフ、俺と一緒に歌ってくれ!  オレについてこい!
 高貴なるオオカミ、アドルフ!

 アドルフのドラムが俺に併せだした瞬間だ。
 そして、そのとき、空中で踊っていた精霊が揺らぎだし、振り回し ていた剣が空気の中に溶けていった。  そしてオレの指は何かに導かれているように動いた。
 アドルフの身体もそう見えた、そして彼の顔から笑顔がこぼれた。

 初めて二人の音が重なり合った。これが音楽なんだ。
 国境もない。
 人種もない。
 アドルフの腕が軽やかになり、そしてタムの上に舞い降りたのは美しく艶やかな乙女達だった。観衆はセネガルのゴールとオレたちの演奏に沸いた。

 セネガルに得点が入っていく。
 サッカーなんてどうでもいい。
 お前と共演することが、オレの最高の望みだったんだ。

 そして演奏は終わった。
 スコットと視線が重なったとき、彼は期待していた笑顔を返してくれた。
 国王オスカルの威厳と気品が漂う笑顔の拍手が、すべての観衆の 拍手を誘導した。
 オレは国王にお辞儀をするとアドルフに握手を求めた。彼もまた立ち上がると、オレの右手をがっちり握ってくれた。

「アドルフ、あんたの勝ちだな。3対1でセネガルの圧勝だよ」
 アドルフは勝利に沸き立つ観衆と、液晶テレビを見つめニヤリと笑った。
「ワタシたちも、いい試合だったな、キアヌぅ」
 オレは頷いた。
「じゃあな」
 ギターを彼のドラムの横にかけ、EJのサインを見たとき、 一瞬の想い出が文字を滲ませた。 去り際のオレをアドルフが肩をつかんで振り向かせた。
「待てよ……ワタシのどこが間違っていた……  酒場で言ってただろうぅ、聞かせてくぅれないか」
 その目はまるで、先生に分からない問題の答えを聞く少年のような 輝きだった。

「音楽って、楽しむもんだろ。 誰かを傷つける音楽は、音楽じゃねえって言いたかったのさ。 それがロックなんだよ。勝ち負けなんて、クソくらえだ。 今日は最高に、楽しかったよ」
 アドルフの物言いたげな目が、言葉になった。
「待てヨ、キアヌぅ。この勝負はお前の勝ちだ。このセッションは 後半になって完全にお前がリードしていた。
 観衆はワタシが勝ったと思い込んでいるが、ワタシと国王は…… お前の勝ちだと思っている。それで十分だ。この勝負は、ヤマトとセネガルの勝負ではない。
 ワタシとお前の勝負なんだからな」
 オレは彼と国王を交互に見た。国王も笑顔でうなずいている。
 オスカル国王が歩き出すと、道が開く。
 たとえこの沸き立つ観衆さえも国王の前には道を開ける。きっと彼は、すべての国民から支持を得ている偉大な王なのだろう。
「彼以外にも私に仕えるジェンベフォラはいる。アドルフには、世界に羽ばたいてもらいたい。西アフリカのグリオが世界のグリオとして活躍するには、 やはり世界的に浸透しているロックは適している。
 本当の意味での国境なき音楽を聞かせてくれ」
 なんてデカいんだ……それは偉大な王を証明するような 言葉だった。オレはひざまずいて誓った。
 アドルフが言った。

「異国民をも跪かせるオスカルぅは、真の国王だ。そして異国民をも感動させるぅお前は、 どうやら真のギタリスト、そういうぅことだ」
 そしてアドルフ、このアフリカの神々、精霊をタムに舞い踊らせる
 そんなおまえも、真のドラマーだ。


 その夜、スコットは教えてくれた。

 アドルフはエモバンドをまいていたらしい。
 そのパラメーターは760、そしてオレのパラメーターは 770だったと。







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